WANTED: DEAD OR
ALIVE
─テロリズム
「正しいかどうかよりは、それがしっくりするかどうかの方が大事や思うんですよ。相手をきっちりするというのは、これで文句あるかという説得でしょ。しっくりしたなってのは納得でしょ。納得と説得に差があると腹立つやないすか。納得してないのに、説得されていくって。だから、他人を納得なしに説得してはいけない。納得の方が高級なんですよ。全体の感じをつかむから。正しさってなかなか人に伝わらんもんなんですよね。楽しさの方はわりに伝わるんです。正しさなんてものは、ぼくは、どうでもいいんです。正しさはなかなか伝染せんけど、楽しさは伝染しやすいという。一番問題なのは、新しいものを楽しんだり、変なことを珍しがったりするっていうのが、落ちてますね、今、それですね」。
森毅
「最もよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ」。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』
“Thou
shalt not take the name of the LORD(יהוי) thy
God in vain; fo
“Exodus” 20:7
二〇〇一年九月十一日、ナイフを手にした男たちにハイジャックされた三機のボーイング旅客機がニューヨークのツイン・タワーとワシントンのペンタゴンに突っ込んだ時、そこに二十世紀というものがあぶり出されている。
 見よ、今日も、かの青空に
飛行機の高く飛べるを。
 給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたった二人で家にゐて
ひとりせっせとリイダアの独学する眼の疲れ……
 見よ、今日も、かの青空に
飛行機の高く飛べるを。
(石川啄木『飛行機』)
 合衆国政府は、ただちに、この痛ましい多数の犠牲者を出した同時多発テロをオサマ・ビン・ラディンをリーダーとするアルカイーダによる犯行と断定し、諸々の経緯の後、十月八日、彼らを匿い、軍事訓練を見逃しているアフガニスタンを実効支配するタリバーン政権に対して空爆を開始する。”Bomb
them back to the Stone Age!”(Gene
しかし、今回の同時多発テロの出発点は一九七九年に起きた三つの出来事にある。第一には、二月にイランで起きたアヤトラ・ルッホラ・ホメイニーに率いられたイスラム革命、第二に、三月のエジプト大統領ムハンマド・アンワル・アッサーダートとイスラエル首相メナヘム・ベギンの間で交わされたキャンプ・デーヴィッド合意であり、そして最後に、十二月のソ連軍のアフガニスタン侵攻である。
これらの出来事は、「イスラム主義」によって、つながっている。サーダートの決断は、中東和平を前進させたものの、先鋭的なグループがアラブ民族主義の結束からイスラム主義による連帯へと傾倒していくことを結果として促す。それはイランのイスラム革命に影響されている。十一月には、イランの若者たちがテヘランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員を人質にとり、大国アメリカを脅かしている。大使館員の救出作戦を失敗したジミ−・カーターは、次の大統領選挙で、ソ連を「悪の帝国」と呼ぶロナルド・レーガンに敗れている。アラブの先鋭的なグループの眼にはイスラム主義がアラブ民族主義より強力に映っている。イスラム主義者は「ジハード」を唱えるようになり、ヒロイズムに耽溺する彼らにとって、イスラム教徒が攻撃されているアフガンは格好の場所である。当時、ソ連の軍部はアフガンに兵を進めることに反対していたが(当時、第三世界の国家の指導者は「社会主義体制」の支持を表明しさえすれば、無批判的にソ連から経済的・軍事的援助を受けらると知っており、アフガンも、その例に、漏れていない。ソ連の甘さは、第三世界の横暴な権力者には格好の餌である。アフガン指導部は、社会主義などどうでもよく、ただ権力基盤の強化のために、ソ連具を要請している。アフガン侵攻に積極的だったのはKGB議長だったユーリ・ウラジミロヴィチ・アンドロポフであり、彼は、そのことで、レオニード・イリイチ・ブレジネフ書記長から叱責されている。侵攻数ヶ月でこの作戦が失敗だったと軍も情報機関も指導部も認識していたけれども、大国としての面子から撤退が遅れてしまう。東西冷戦とはこのように短絡的な二項対立が支配した世界観である)、中央アジアにおけるアメリカの発言力が強まるのを恐れて、指導部が強行に決定している。アメリカの方も、親米だったパーレヴィ−朝のイランを失い、ソ連の中央アジアへの覇権を危惧し、アフガンのゲリラを支援している。ロナルド・レーガン合衆国大統領はアフガン・ゲリラをアメリカに招いている。
Ronald:
Would you send in Jim Bake
(Jim
ente
Jim:
M
Ronald:
Well, the envi
Jim:
Watt.
Ronald:
I said I'm su
Jim:
Watt.
Ronald:
I just told you they'll ask me about my Sec
Jim: James Watt. You'
Ronald:
Whe
Jim:
Y.
Ronald:
Why?
Jim:
That's 
Ronald:
With Watt? I don't even know with who.
Jim:
Not who...Watt.
Ronald:
Let me get this st
Jim:
Watt.
Ronald:
Whe
Jim:
Y.
Ronald:
Let's go to the 
Jim:
Yassi
Ronald:
I said I need the fi
Jim:
Yassi
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Look, it's nice that you'
Jim: No si
Ronald:
You'
Jim: No si
Ronald:
I ask you the fi
Jim:
That's 
Ronald:
Then you tell me “Yes si
Jim:
Absolutely. You got it.
Ronald:
I got what?
Jim:
He's you
Ronald:
Why a
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Jim:
Hell...You have the head of Republic of China on the line...P
Ronald:
I don't know. Who's on the line?
Jim:
That's co
Ronald:
What's co
Jim:
No, he's you
Ronald:
Let's sta
Jim:
No si
Ronald:
What?
Jim:
Tomo
Ronald:
No mo
アフガンにやってきたイスラム義勇軍はソ連軍が憎かったわけではなく、ジハードに参加できることを求めていたのである。そのため、ソ連軍がアフガンから撤退した後、さらなるジハードを探すようになっている。「みんな、物事に原因、結果の理屈を求めて納得したがっている。宗教に求めているのも、世の中がすぱっと割り切れる世界観とぼくは踏んでいる」(森毅『そこはかとない不安をついた新興宗教ブーム』)。カール・マルクスは、『ヘーゲル法哲学批判序説』において、「宗教は民衆の阿片である」と言っている。このあまりに有名な一行は宗教を民衆が必要としている現実を問わなければならないと解釈されてきたが、宗教は何も建設的なことをやっていないのに、何かをやっているような気に信者をさせていると認識しなければならない。いかなる宗教も人間が生み出している。セム系の宗教において、本当は、神が人間を創造したのではなく、人間が神を創造したのである。神は父でも、母でもなく、子である。人間は、子のように、神に接しなければならない。信仰は神への教育的姿勢である。しかし、教育は難しい。イスラム主義を含めて、後に言及する通り、原理主義運動は道徳による割り切りであり、イスラム復興は極めて近代的である。彼らは近代の原因=結果の図式に基づいて、世界の中にある不可解さを納得するために、しばしばテロリズムを用いている。彼らには、ジョン・キーツが一八一八年の弟ジョージおよびトーマス・キーツ宛ての書簡で記している「ネガティヴな能力(Negative
Capability )」、すなわち「事実や理由を手にしようと努力することにいらだつことなく、不確実、神秘、懐疑の状態でいることが可能」な「生半可の知識(half-knowledge)」に満足できない。「ぼく自身は、霊とか占いとか、よくわからんことのある世界が好きなほうだ。ただし、それは説明できないからおもしろいので、宗教で説明されてしまうのは気にくわない。どっちみち世界のなかはわからんことだらけなのだから、せめて宗教では、わからんでも安心できるようにしてほしい」(森毅『合理性を求める宗教?』)。
森毅は、『そこはかとない不安をついた新興宗教ブーム』において、高学歴なものほど極端な運動に走る傾向について、次のように分析している。
ブランド大学を卒業して、ブランド企業に就職して、一見安定した順調な生活を送っているように見える人には、かえってそこはかとない不安が生まれているとぼくは観察している。社会はますます流動的になっている。不確定要素がいや増し、近い将来、自分の環境がどう変わるのか予測がつかない。インテリはいち早く、この時代状況を察知する。しかも、順調に人生を進んでいるゆえに不確実性に対する不安感が強い。
ところが、その不安をそのままにはしておけない。前にも触れた、わからないことへの耐性の不足だ。
歴史的に、テロリズムを主流な活動とした反体制運動としてナロードニキがあげられるが、テロリズムの思想はナロードニキからあまり変わっていない。イスラム主義者の発言は六〇年代の新左翼の主張に似ているけれども、それはナロードニキの言説に由来する。ナロードニキがそうだったように、テロリズムは近代化の矛盾によって生まれる。「ナロードニキ(Народники)」は帝政ロシア末期に生まれた革命的人民主義者の集団であり、一八七三年から二年間ほど起きた知識人、学生を中心とするナロードニキは「В Народ(人民の中へ)」を唱える。彼らは西欧的資本主義の発展段階を経験せずに、ミールを土台にして社会主義的段階に移行できると考える。後進国ロシアにおける革命運動の遅れを一挙に解消するために、先進西欧諸国が生み出した社会主義思想とロシアにおける共同体的な伝統を結び付けようとする意図がある。彼らが資本主義的発展の必然性を説くロシアのマルクス主義者たちと対立するのは当然であろう。ナロードニキ運動はラブロフ派とバクーニン派の二派に分類できる。ラブロフ派は都市労働者に向けて革命の宣伝と準備を行い、他方、バクーニン派は農村に入り、農民に対して革命運動に立ち上がることを訴えるが、農民が人口の大部分を占めるロシアでは、バクーニン派に多くのナロードニキが加わっている。バクーニン派によれば、社会主義的な習慣をすでに身につけている農民が革命の中心的勢力であるから、資本主義的な発展段階をスキップして、社会主義的な発展段階に移行することができる。革命を迅速に実現するために、体制の中で特権的な地位を占めている知識人はそれを捨て、抑圧されている農民の中へ入り、革命の意義を説かなければならない。運動が最盛期を迎えた一八七四年、こうした思想の影響を受けた青年・学生たちが農民や職人に姿を変えて、大挙して農村に入り、農民を反政府運動や革命運動に立ち上がらせようとしている。しかし、農民たちは彼らの情熱にもかかわらず、呼びかけに応じるどころか、逆に、警察に密告したため、運動は挫折してしまう。この結果、農民への宣伝ではなく、テロリズムによる体制の転覆を目指すナロードニキの秘密結社──「人民の意志」派──が登場するようになる。「されど、なお、誰一人握りしめたる拳に卓をたたきて、’V NAROD!’と叫び出づるものなし」(石川啄木『はてしなき議論の後』)。このナロードニキ主義の始祖としては、アレクサンドル・ゲルツェンやニコライ・チェルヌイシェフスキーがあげられるが、むしろ、彼らの活動はブ・ナロード運動の挫折以降に活発化する。一八七六年に、社会主義の理論を棚上げし、すでに人民が自覚している要求を名前にした秘密結社「土地と自由」が誕生する。この結社は、農村に定住して宣伝を始め、ブ・ナロード運動が盛り上がった数年前と違い、今度は農民に受容される。しかし、当局の弾圧が厳しくなり、権力との直接闘争へと方針を転換すべきだと内部から異議が申し立てられる。一八七九年、農村における宣伝活動に重点を置く「土地総割替」派とテロル戦術による急進的な革命をめざす「人民の意志」派に分裂し、後者は一八八一年に皇帝アレクサンドル二世の暗殺に成功する。だが、こうした闘争には、政治的見通しが乏しく、また当局による厳しい弾圧によって、紆余曲折を経たナロードニキの組織活動も壊滅に追いこまれていく。ただ、彼らの思想は消えることなく、エス・エル党に継承される。このような社会的・時代的背景の下、一九一七年、ロシア革命が起こり、ソヴィエト社会主義共和国連邦が成立し、偉大なる同志の死後、スターリニズムという原理主義が始まり、「人民の敵」を粛清していく。
そのソ連も、一九九一年、崩壊する。ミハエル・ゴルバチョフは、しばしば、アフガン戦争を「ソ連にとってのベトナム戦争」と評している。ソ連には、アフガニスタン侵攻の代償はあまりに大きい。ソ連軍撤退後、アメリカはアフガンから手を引く。東西冷戦構造が解体した後、アメリカの関心は、むしろ、中東やバルカン半島へ向かい始める。世界は一九三九年以前の秩序へと舞い戻ったのである。ところが、せっかくナジブラ政権を倒してカブールに入ったものの、アフガニスタンに発足したムジャヒディン政権は仲間割れを始めてしまう。タジク人のイスラム協会のブルハヌディン・ラバニとアハマド・シャー・マス−ドはそれぞれ大統領と国防大臣、パシュトゥン人のイスラム党のグルブディン・ヘクマティアルは首相に就任したが、この二つの勢力は相性が悪く、また、ウズベク人のアブドゥル・ラジム・ドスタム将軍率いるイスラム国民運動とシーア派ハザラ人のイスラム統一党は新政権から軽視されたため、不満を高まらせていく。こうした民族の分類は、ドスタムがキプチャク人であるという説もある通り、実際には、曖昧であり、便宜的でしかない。そのうちに、内戦が勃発し、パキスタン・インド・タジキスタン・ウズベキスタン・イラン・サウジアラビアなど周辺国が思惑から各勢力に干渉し、アフガン国内は無法状態に陥り、三十年戦争のドイツと化している。各勢力とも非常に細かく分かれているため、決定力を欠いている。一九九四年、そこにカンダハルからタリバーンが表われる。ムラ−・ムハンマド・オマルを最高指導者とするタリバーンはパキスタンのイスラム神学校であるマドラサで学んだ学生であり、相対的に、禁欲的な人物が多い。パシュトゥン系のタリバーンはさしたる兵器も持たないまま、たちまちアフガンの大部分を支配地域に治める。アフガンの人々はアフガンの秩序を回復した学生運動のタリバーンを歓迎したのである。しかし、二〇〇一年十一月、タリバーン自身も数日間で北部同盟軍によってほとんどの支配地域から掃討される。内戦は小さな戦いであるため、均衡状態がわずかに崩れただけで、なだれ現象が起きる。タリバーンの勢いに脅威を覚えた各ムジャヒディンは停戦合意を結び、結束し、マス−ドが指導するアフガニスタン救国イスラム統一戦線、通称北部同盟を結成する。へクマティアルを支援してきたパキスタンとサウジアラビアは彼を見限り、タリバーンを承認し、へクマティアルはイランに亡命する。
サミュエル・ハンチントンは、『文明の衝突』において、ソ連軍侵攻以降のアフガンの状況を次のように述べている。
この戦争のあとに残ったものは、イスラム教徒の不気味な連合で、全ての非イスラム教徒軍に対してイスラムの大義を主張しようとしていた。また、技術を持つ経験に富んだ戦士、駐屯地、訓練施設、兵站設備、全イスラムを結んで入念に作られた個人と組織のネットワークも残された。また大量 の兵器が残され、三百基から五百基のスティンガー・ミサイルの所在が不明である。そして特に重要なのは、自分たちが成し遂げたことから生まれる力と自信に満ちた高揚感と、さらに勝利をおさめたいという突き上げるような願望だった。
これは政治的に無責任極まりない発言であると糾弾せざるをえない。「文明の衝突」はアメリカの御都合主義的な外交を隠蔽するイデオロギーであり、極めて有害な視点である。ディエゴ・マラドーナは、「ビン・ラディン氏は、過去にCIAの支援を受け、旧ソ連のアフガン侵攻と戦った。フランケンシュタインを生み出した合衆国政府には嘆く資格はない」と言っているが、このほうがはるかに見識的な意見である。「アメリカ人は勝利にかけてはエキスパートであるが、敗北にかけてはまだアマチュアである」(E・ウォルシュ)。
バーバラ・エーレンライクは、『ヴィレッジ・ボイス』誌に、これまで自分自身が批判してきたグローバリゼーションと軍事力に基づいたアメリカの世界支配への反撃が、女性虐待のイデオロギーを信奉するグループによってなされたことは残念であると言っている。しかし、タリバーンに対する懐柔策を拒否し、アフガンの女性たちを苦境に追いやったのはアメリカのフェミニスト団体である。フェミニストの道徳主義がアフガンで女性の置かれている状況を悪化させている。タリバーンは最初から頑だったわけではない。彼らは、カブール制圧直後、女性の教育も認めている。タリバーンの政策を非難することはたやすいが、内戦により政治・経済に携える人的資本が不足している現状を考慮しなければならない。タリバーンが偏狭になっていくのには、ある経過を辿っている。タリバーンを支援し続けたのはパキスタンだが、それを合衆国は黙認している。アメリカは、自国の石油資本ユノカル社がカスピ海の天然ガス資源をアフガン経由でパキスタンに送るのを援助するため、タリバーンに武器を供与させている。ユノカル社も経済的・人的援助をしていたが、荒廃しきっていたアフガンの現状には十分に補えることはできない。国際社会はタリバーンの承認に二の足を踏み、タリバーンは追いこまれていく。その苦境に手を差し伸べたのがオサマ・ビン・ラディンである。オサマは、アルカイーダなどのイスラム主義者のネットワークを通じて、高等教育を受けた人物をタリバーンに提供を申し出る。タリバーンは、その代わり、行く場所をなくした彼に滞在を許可している。タリバーンは、この時から、極端なイスラム主義に傾斜していく。アラブから来たイスラム主義者によって、女性の権利は奪われ、凧揚げの禁止など奇妙な布告を施行され始める。アフガンでは、凧揚げは人気がある。インドやパキスタン、アフガンの地方によっては、凧をあげて春を祝う習慣がある。ユノカル社は国内のフェミニスト団体から人権を抑圧する政権を支援しているという理由で訴訟を起こされ、タリバーンから手を引かざるをえなくなってしまう。タリバーン指導部のメンバーはアメリカに渡り、苦境を訴え、援助を求めたが、拒否される。内戦のため、アフガンから人的資本が流出し、産業的資本は破壊され、海外資本は投資を手控え、追い討ちをかける。タリバーンの指導部とアルカイーダはさらに接近し、後は悪循環に陥るだけである。タリバーンの政策の多くは保守的な農村共同体の慣習を適用しているため、都市生活者には苦痛だが、農村では不満は少ない。アフガンやイランで王制が廃止されたのは、農村部を中心にした民衆の近代化への反発である。近代化を通じて、経済発展を達成する過程が不可欠であったとしても、それが成功するわけではない。近代化は急激な経済成長が可能な時代においてのみ有効である。近代化がうまくいかない結果として、近代化がテロリズムを生み出す土壌になる。近代化を素朴に否定するだけでは支配地域を統治ができないことくらいタリバーンも承知している。地域によっては、タリバーンも、私塾での女性の教育を黙認している。彼らは、女性の教育自身を禁止しているわけではなく、男女を分けて学校を作る経済的余力がないために、女性の修学をさせていないだけだと弁明している。つまり、イスラム主義者とフェミニストの性急で極端な道徳主義がアフガンの女性の自由を奪ったのである。「講演が終わって、質問を受ける段になってひとりの高校生が、『そやけどうちの高校まったく駄目なんですけど、どうすればよくなりますか』と尋ねてきた。ぼくの答えは、『高校生の分際で高校を良くしましょうなんて思わんことよ』。自分の通う高校を良くしたいと思う心根は見上げたものである、と一応は褒めよう。しかし、いくら彼が孤軍奮闘して学校の改革を唱え、それに賛同する仲間がいても、一朝一夕には母校がかわるわけもない。たっぷり十年はかかる。十年後にいくら高校が良くなったとしても、その恩恵にあずかるのは自分ではなく、見ず知らずの後輩だ。「そんなバカなことやめとき」が、ぼくのアドバイスである。どうせなら、今の制度のなかで自分にメリットになる良いところだけをうまく利用したほうがいい。肩ひじ張って改革してやろうなどと思うより、むしろそのほうが結果的に母校を良くすることにつながると思う」(森毅『オール・オア・ナッシングでは悲しすぎる』)。
テロを生む原因は貧困に始まり、民族浄化、民族間の復讐、難民、麻薬、武器密輸、宗教的狂信、グローバリゼーションへの不信感と限りない。この原因の多くは途上国と言うよりも、先進国の生活様式にある。地球温暖化の結果、世界各地で干ばつや洪水が生じ、農産物の生産が激減している。テロを生み出す抑圧機構は先進国から途上国へ向けて網の目のように広がっている。テロは意思決定過程から排除されていると感じる人やグループが実行する。このプロセスへの多くの人々の参加がテロを減らす効果を持つのだが、その線引きが問題になってしまう。中東や中央アジアの多くの国では、行政は腐敗し、インフレが進み、失業率が高い。先進国は、思惑から、それを見て見ないふりをしている。この状況が将来への希望を持てない若者たちをイスラム主義に走らせ、イスラム主義の指導者も影響力を確保すべく、それを利用している。サルマン・ラシュディは、「これはイスラムの問題ではないと世界の指導者は呪文のように唱え続けている。しかし、実態をありのままに見よう。これはイスラムの問題である」と言い、さらに「過激派の土壌は貧困であり、果実は妄想症である」と付け加えている。「宗教にはたいていクレージーな時期があり、千年くらいしてやっと落ち着いてくる。キリスト教の新約聖書などを読むと、美談ばかりだ。しかし、これはずっと後世になって書かれるから美化されるのであって、誕生した当時は、周囲からは変なものが出てきたとしか思われなかったのではないだろうか。迫害され、邪教のそしりを受けた時期があったに決まっている。そして、めちゃくちゃ暴れる時期があり、社会と摩擦を起こす。最初に高揚期があって、お祭り気分のなかでの論理が働く。が、その段階を過ぎるとお祭り気分がハイであればあるほど、反動がきて、社会と厄介なことになる。そのうち馴化し、長い間かかって安定してくるというステップを踏む」(森毅『幸福の科学の正念場はこれからやって来る』)。テロリズムとそれを基盤とした思想を区別する傾向があるが、テロリズムはその思想が社会と共生する前に、荒れ狂う症状である。新たに出現した感染症のウィルスが時間が経過とともに無毒化されていくように、一定期間がすぎると、テロリズムが消え、思想は社会と共生する。思想にとってテロは大腸菌におけるベロ毒素に似ている。
 
If I,
I get to know you
Well
if I, could t
All I
know is that to me 
You
look like you'
Open
up you
I
want some,want some 
I set
my sights on you 
(and
no one else will do) 
And
I, I've got to have my way now, baby 
All I
know is that to me 
You
look like you'
Open
up you
Watch,out
he
You
spin me 
Right
Right
You
spin me 
Right
Right
I got
to be you
And I
would like to move in a little bit close
All I
know is that to me 
You
look like you'
Open
up you
Watch
out, he
You
spin me 
Right
Right
You
spin me 
Right
Right
(Dead O
 アルカイーダのメンバーはもともと自国の政府に対する反体制的な活動をしていたが、アメリカという共通の敵を持つことによって、連帯している。アメリカは、むしろ、彼らにとって、仮想敵である。同時多発テロはテロリストにも敵がinvisibleであることが明らかになっている。パレスチナ人にとって、敵はvisibleである。それはイスラエルの軍隊であり、警察にほかならない。九月十一日のテロリストはウォール街とペンタゴン、ホワイトハウスを狙っていたと見られている。アルカイーダは二十世紀に対してテロを仕掛けている。テロリズムとの戦いは目に見えない敵との戦いであると言われているが、テロリストにとっても同じであろう。現代社会において敵はinvisibleである。テロリストは敵をアメリカに象徴させ、さらにツイン・タワーやペンタゴン、ホワイトハウスにアメリカを象徴させている。オサマ・ビン・ラディンは、十一月十日付のパキスタンの英字新聞『ドーン』に、九月十一日の攻撃は女性や子供を標的にしたわけではなく、真の目標はアメリカの軍事的・経済的象徴であり、敵がイスラムの領土を占領し、一般市民を盾に使っている場合、市民を巻き添えにしても、敵への攻撃は許されると語っている。目に見える形で訴える必要に迫られて、テロも考えられている。九月十一日のテロは、同時多発であることにより、そのテレビ依存性を強調している。マーシャル・マクルーハンは、『メディアはマッサージである』において、テレビ画面の映像を二次元的なモザイクになぞらえている。モザイクは均一的、連続的、反復的な特徴を持っていないので、その視覚的構造は直線的なブレーク・スルーを目に許さないと言っている。テレビは、新聞やラジオ、映画と違い、プロパガンダとして機能しにくい。テレビの「同時多発性(All-at-Onceness)」、すなわちイメージや情報をさまざまな場所・時間から送信する能力によって、世界の「地球村」への収縮が促進される。テロ・グループはそれをアイロニカルに実現している。しかも、「高層建築(High-Rise)」はマクルーハンの『メディアの法則(Laws
of Media)』における重要なメタファーである。マクルーハンはメディアには「拡張(Extension)」・「衰退(Obsolescence)」・「回復(Ret
Ha nacido el Mesías en Nueva Yo
anda en auto blindado po
el Papa le teme a algún despido en masa. 
Viene 
pa
los judíos dicen que ése es el que espe
Tiene un Penthouse en Manhattan 
y un piso en Pa
un docto
y un affai
Toma un t
oye un poco de jazz po
Hace un poco de jogging en Cent
ap
p
Tiene una escolta a
con tipos de Is
y una Magnum 45 pa
* Dicen que es el que vino y ju
que se hizo ci
que es el enviado del cielo y que está en Manhattan 
y esta vez su est
Tiene un socio en Japón, ot
habla a dia
p
Ya comp
con discu
y el caos impe
La  Iglesia lo
acusa de he
y el pentágono de te
y en el filo de la navaja... la fe. 
* Dicen que es el que vino... 
Se ha suicidado un magnate en la G
se lee en la po
y una nube de dudas le hacen somb
(Rica
二十世紀はアメリカの世紀である。それは一九〇一年ではなく、一九二〇年に始まったと考えるべきであろう。と言うのも、二十世紀は黄金の二〇年代と世界恐慌によって表象されるからである。アメリカの世紀はアメリカの生活様式や価値観がグローバル化したのではなく、アメリカへのアンビバレントな感情が世界中に蔓延したという意味で理解する必要がある。アメリカ文化に対する文化普遍主義と文化相対主義の葛藤がそこにはある。ただ、アメリカは、世界にとって、一つのアメーバ−運動体である。アメリカは、ドルと英語が体現している通り、世界の内部であるとも、外部であるとも言えない決定不能の状態にあって、アメリカが世界を支配しているわけではない。それは一つの現象であって、実体などない。アメリカを破壊すれば、世界が改善するというのは素朴な幻想である。アメリカは中心であるとも、中心でないとも言えない。アメリカの世紀は決定不能性の世紀である。「アメリカは偉大だが、それがすさまじく多くの人々の犠牲の上に成り立っていることを知らなきゃ。高級車を買ってテロリストに負けてないと見せつけてやれ、なんて言っているが、その代償に窓から自由を放り投げようとしている。高級車なんていらない。自由が大切だ」(リー・ストリンガー)。
ジョージ・W・ブッシュ合衆国大統領がこの暴力を「戦争行為」と呼び、「報復」を誓ったとしても、相手は国家ではない。テロリストは、今言及した意味で、ドル同様、国家も、国旗も、領土も持っていない。「アメリカ人の愛国心ほど厄介なものはない」(アラン・トクヴィル)。ジョン・アーラ−キー米海軍大学院教授は、アルカイーダについて、「超強力なのは組織形態だ。ビン・ラディン氏を中心に複数の組織が緩いネットワークを形成している。彼は『命令すれど支配はせず』。来春、大事件を起こせという一般的な命令を出すだけで、実際の計画作りと実行は下部の自由裁量に任される。縦の序列がない組織」であり。「軍事思想も実に優れている。実行部隊はできるだけ分散し、攻撃時にだけ合流すべきだという思想だ。十九人のテロリストがある時点で正確に集合し、五千人以上を殺害した。効率的な作戦と言わざるを得ない」と言っている。彼は、逆に、アメリカ政府に対して、「多くの点で不利だ。特に組織形態では問題だらけ。ラムズフェルド国防長官の国防総省改革は制服組の抵抗で挫折した。国防総省はFBIとろくに話もしない状態だ。各省庁を調整する国土安全保障局が発足したが、巨大官僚組織をもう一つ作って屋上屋を重ねたに等しい」と批判している。十九世紀の戦争は国家間戦争であり、二十世紀では、内戦であって、政治権力の正統性の争いである。テロリズムとの戦いは自らの政治権力の正統性を訴えるものでしかない。ドナルド・ラムズフェルド国防長官(Sec
けれども、合衆国政府は、九月十一日のテロに関して、ハーグの国際裁判所に訴える気もないし、公判を維持できるだけの物的証拠も持ちえていないように思われる。合衆国政府は、オサマ・ビン・ラディンを捕らえた場合、国内の特別軍事法廷で裁くつもりでいる。スペイン政府は、同時多発テロの共犯として拘束している八人について、「欧州のどんな国も、軍事法廷にかけられる可能性がある限り、被拘束者を米国に移送することはできない」という方針を合衆国政府に言明している。一九九八年のローマでの外交懐疑で設置条約が採択された国際刑事裁判所(Inte
“You
smell that? Do you smell that? Napalm, son. Nothing else in the wo
(Lieutenant
Colonel Bill Kilgo
アメリカ軍は、空爆をしながら、世界で最も地雷が敷設されているアフガンに、偽善的にも、食料を投下している。食料には、絵による説明と英語・フランス語・スペイン語で但し書きがつき、御丁寧にも、夜中の二時に落としている。” It
was the way we had ove
Us
and Them
And
afte
Me,
and you
God
only knows it's not what we would choose to do
Fo
And
the Gene
Black
and Blue
And
who knows which is which and who is who
Up
and Down
And
in the end it's only 
And 
Haven't
you hea
the
poste
Listen
son, said the man with the gun
The
Down
and Out
It
can't be helped but the
With,
without
And who'll
deny that's what the fightings all about
Get
out of the way, it's a busy day
And
I've got things on my mind
Fo
The
old man died.
(Pink Floyd “Us
and Them”)
山岳地域であれ、ジャングルであれ、都市であれ、ゲリラ戦はフラクタルを相手にする。典型的なゲリラ戦だったベトナム戦争には「前線」が存在せず、アメリカ軍の兵士はヘリコプターで点在する戦場に送りこまれている。”Cha
アメリカの国務省は、二〇〇一年十月六日、二年ごとに変更される海外テロ指定組織のリストを発表している。その中には、もはや日本赤軍(JRA)や赤い旅団(BR)、バーダー=マインホフ・グループ(RAF)の名前はない。さらに、一九九六年にペルー日本大使館を占拠したトゥパク・アマル革命運動(MRTA)もリストから外されている。その代わりに、イスラム運動ウズベキスタン(IMUと真のIRA、極右のコロンビア自警軍連合(AUC)が新たに付け加えられ、アルカイーダやセンデロ・ルミノソ(SL)、オウム真理教など二六団体が指定されている。指定の条件は三つある。「その組織は外国になければならない」。「その組織は、移民国際法第二一二条(a)(3)(B)に定義されているテロ活動に携わっていなければならない」。「その組織の活動は、合衆国国民の安全あるいは合衆国の国家機密(国防、国際関係、経済的利害関係)を脅かすものでなければならない」。指定の効果には法的とその他の二つが認められる。「FTO(海外テロ組織)指定組織に対して、合衆国民あるいは合衆国の管轄区域にいる人が資金その他の物質的支援をすることは違法となる」。「FTO指定組織の代表者と特定のメンバーは、外国人であれば、ビザ発給を拒否され、あるいは合衆国から追放されうる」。「合衆国金融機関は、FTO指定組織とその代理人の財源を停止し、合衆国財務省海外資産管理局にその妨害を報告しなければならない」。法的以外には、「寄付の阻止」と「テロ組織の認識と知識の増加」があげられる。 
 コリン・パウエル国務長官(Sec
テロリストが自由の問題に関わるのは必然的である。と言うのも、テロリズムはサディズムであり、サディズムはカント主義のアイロニーだからである。「定言的命令は、自由の理念が私を仮想的世界の成員にすることによって、可能なのである」(イマヌエル・カント『実践理性批判』)。対象に苦痛を与えることによって満足をえる性倒錯は、十九世紀後半の心理学者クラフト・エービングにより、マルキ・ド・サドの名にちなんで「サディズム」と命名されている。『悪徳の栄え』や『ジュスティーヌ』など一連の作品に登場する主人公は、愛する相手に残虐な行為を繰り返し、性的満足を得ている。サディズムは、狭義では、性的倒錯の一種である。対象に身体的、精神的な苦痛ないし屈辱や恥辱を与えて性的に満足したり、あるいはその加虐的行為によって性行為に至る興奮が異常に高められることを指す。ただ性的な快楽と直結しなくとも、他人に対して苦痛や恥辱を与える行為によって快楽や満足を覚える場合や他者への攻撃性一般をサディズムと呼ぶ場合もある。捕虜や囚人への拷問がその典型例であり、そこには品位を欠く残酷かつ攻撃的な行動が見られる。これらは地位や立場、役割の優劣の関係を背景にして、優位者が劣位者に及ぼす行為である。しかし、そのような対人関係を超えて、人格障害的に、個人が怒りや憎しみなど感情の高まりによって他人に対して加虐行為に至る場合もあり、それは犯罪につながる傾向が強い。また、精神分析学では、一般的なリビドー発達段階のある時期の特徴として理解されている。口唇期後期において、乳児が授乳の際、焦らされて母親の乳首を噛む時、これを乳児の怒りの表現として口愛サディズム、もしくは肛門期の幼児が親に強い反抗を示す際に、それを肛門サディズムと呼ぶ。テロリズムもこの分類に従い二つに分けられる。サーダート暗殺は前者に属し、ユナボマーは後者に分類できる。マルキ・ド・サドは人間の本性を徹底的に利己的と捉え、自然の原理を破壊と考え、一切の道徳を反自然として斥ける。悪徳が美徳を踏みにじり、あらゆる倒錯的性行為が展開されるサドの作品では、サドの哲学、すなわち神が存在しない世界における人間の自由の問題が道徳的な厳格さで追究されている。サドは反道徳を道徳的に求道し、道徳の持つ反道徳性を明らかにしているのであり、その姿勢において、道徳主義者である。マキシミリアン・マリー・イシドル・ド・ロベスピエールがカント主義の原理主義者であり、それに基づいて多くの人をギロチンに送ったが、彼自身もテロルの対象になっているように、テロリズムはアイロニーである。アイロニーであるため、テロリストの定義は受動的であり、時代的・社会的背景によって決まる。実際、サドも、旧体制下では放縦者、革命期には反革命者、帝政期においては狂人として、結局、生涯の三分の一以上、四十年近くを監禁されてすごしている。森毅は、『なぜ私は私なのか』において、「自由というのは、時代や社会と自分との間のずれ、そのすきまを生きる身のこなし」であって、「自己を確立して、時代や社会のなかに自己の地位を安定化させる」ことは「柔軟性がない」のであり、「自由を縛るのは、そうした自己」であると言っている。
二〇〇一年、国連総会のテロ作業部会の包括的テロ防止条約案の審議では、テロ行為を「手段のいかんを問わず、身体に重大な危害、経済的に深刻な被害を引き起こす行為」を規定している。テロの実行犯だけでなく、共犯や政治犯、テロ集団の組織者、協力者にも拡大している。一般市民や政府を対象とした脅迫行為もテロに含まれる。イスラエル当局に拘束されているパレスチナの活動家は、「占領からの解放闘争の戦士として、組織の指示に従って、武装闘争に携わった。それもテロなのか」と問う。組織が「和平」を選んだり、「独立」によって政治的地位を固めることを選んだ場合、活動家の立場は揺れ動く。当局は「イスラエル人の血で手を汚した者」は釈放しない」という姿勢である。平和活動家のウリ・アブネリは「ユダヤ人の血だけが特別というわけではない」と言っている。「僕はモンゴル人として生まれたことは悪くないと思うが、しかし、過剰な誇りなどはまったく持っていない。そうする理由もないのだ。僕はいつも個人単位で生きている。(略)個人は世界の中では小さいが、個人の世界はそれほど小さくない」(宝音賀希格『わたしはモンゴル人』)。
イスラエル軍の中核はハガナーやイルグンといったパレスチナのユダヤ人テロ組織である。イルグンは、ブラック・サバス事件への報復として、キング・ダヴィデ・ホテルを爆破し、イギリスがパレスチナからの撤退に踏み切るきっかけとなっている。歴代のイスラエル政府首脳の中にはこうした組織の出身者が少なくない。メナヘム・ベギンはイルグン、イツハク・シャミルはシュテルン、モシュ・ダヤンやイツハク・ラビンはハガナーにそれぞれ所属している。特に、ベギンは、アイルランド共和国軍のマイケル・コリンズと並んで、最も後世に影響を与えたテロリストである。建国してからも、モサドは、アブー・アンマールの後継者が生まれそうになると、暗殺を繰り返したため、彼は後継ぎを選べなくなっている。指名はその人物の死刑の命令書にサインするも同然だからである。ヤセル・アラファトが保身のために後継者を育てなかったというのは公正な見方ではない。ハマスの指導者の一人マフムード・アルザハルは「アメリカの同時多発テロとわれわれの殉教攻撃は一〇〇%違う。国民皆兵のイスラエルには、真の意味での民間人は存在しない。同時多発テロの犠牲になった罪のない民間人とパレスチナ人を殺戮する民間人とは別物だ。殉教攻撃を非難する前に、なぜイスラエルに『罪のないパレスチナ人を殺すな』と言わないのか」と強調している。
ネルソン・マンデラ前南アフリカ共和国大統領やヤセル・アラファト暫定自治政府議長、シャナナ・グスマン初代東ティモール大統領もかつてテロリストと呼ばれている。また、シン・フェイン党の党首ジェリー・アダムスはイギリスの下院議員になっているし、低カーストの解放運動の活動家プーラン・デヴィ(Phoolan
Devy)は、十一年獄中にあった後、インドの国会議員に選ばれている。彼女に至ってはテロリストどころか、「盗賊の女王」とまで呼ばれている。逆に、アウグスト・ピノチェト元チリ共和国大統領やポル・ポト元民主カンボジア首相、イディ・アミン元ウガンダ共和国大統領を国際社会は為政者として認知している。「虚構にさらされて自己が散乱することもない」よりも、森毅の『なぜ私は私なのか』によると、「現実の世界も虚構の世界も含めて、さまざまな光にさらされて、なんとなくゆらいでいるのがこの自分」であって、「確定した自己でもなく、時代や社会でもなく、そのずれのすきまを生きている。それが〈私〉という現象」である。
こうした相対性を日本政府は無視している。オットー・フォン・ビスマルクによるエムス電報事件以来の謀略を柳井俊二駐米大使が行い、リチャード・アーミテ−ジ国務副長官(Deputy
Sec
バランスという点では、合衆国政府のメディアへの対応は偏っている。二十世紀の戦いはメディアの戦いでもある。メディアで勝った方が勝利を手にする。テロは反響が大きければ、大きいほど、成功である。相手にテロに対して断固たる態度を示すことが、むしろ、テロの目的である。テロリストは、メディアを使い、自己の存在を大きく見せることに成功している。一方で、メディアは当局側が巧妙に用意したプロパガンダを流している。しかも、多くの場合、それをプロパガンダという自覚もなしに放送している。それどころか、さらに煽っているメディアさえ少なくない。戦時下の日本でも、ラジオから流れてくる大本営の発表を信じていた人もいたが、それを批判的に認識していた人たちにとって重要な情報源は口コミである。「政府の発表はあてにしなかったが、街の噂でポツダム宣言も原子爆弾も知っていた。もっとも、風船爆弾でハリウッドが大火事になって、アメリカ映画が見られなくなるという噂もあった。噂というものは、真実と虚構がいりまじって物語りになっていくもので、真実だけのつもりで痩せている公式発表より面白い」(森毅『自由を生きる』)。アフガニスタンの人々が合衆国の市民よりも今の国際情勢を知らないとは限らない。タリバーン政権下では、テレビの視聴が禁止されているため、人々はラジオを聞く。政府の放送よりも、BBCの放送をよく聞いているし、タリバーン政府もそれを承知している。アルカイーダのスポークスマンの声明を合衆国政府は放送しないようにと三大ネットワークやCATVに自粛を求めている。二度目以降、各テレビ局は短縮して放映している。何しろ、ウエストヴァージニア州の高校生ケイティ・シエラが反戦クラブを結成しようと「世界平和」や「テロ反対」というロゴ入りのTシャツを着て、登校したことで、停学処分を受けたが、裁判所まで高校側の対応を違法と認定しない状況である。ジョージ・W・ブッシュ大統領はプリッツェルを喉につまらせたのも、アルカイーダの陰謀だと言い出しかねないないほどヒステリックになっている。
I
would love to tou
In a
t
Yes
I'd love to tou
In a t
Yes
I'm dying to be a sta
Sound
just like a 
Those
days a
Ove
I
have neve
But I
plan to find the time 
I
have neve
But I
plan to find the time 
'Cause
he looks so fine upon that hill 
They
tell me he was lonely, he's lonely still
Those
days a
Ove
I
stepped up on the platfo
The
man gave me the news
He
said, You must be joking son 
Whe
Whe
Well,
I've seen 'em on the TV, the movie show 
They
say the times a
These
things a
Ove
(Steely Dan ”P
マッカーシズムさながらのムードの中、報復戦争に「必要で適切なあらゆる軍事力」を行使する権限を大統領へ与える決議に対して、上下両院の議員のうち、バーバラ・リー下院議員(民主党)がただ一人賛成していないのは救いである。ジョン・アッシュクロフト司法長官(Atto
The
With
d
And
in my mind I still need a place to go,
All
my changes we
Blue,
blue windows behind the sta
Yellow
moon on the 
Big
bi
Th
Leave
us
Helpless,
helpless, helpless
Baby
can you hea
The
chains a
Baby,
sing with me somehow.
Blue,
blue windows behind the sta
Yellow
moon on the 
Big
bi
Th
Leave
us
Helpless,
helpless, helpless.
(Neil Young "Helpless")
BBCは、アメリカのメディアと違い、アルカイーダの声明を全世界に向けて放送すると同時に、現在行っている空爆はテロリストのネットワークを破壊するためであって、イスラム教徒に向けてはいないというトニー・ブレア英国首相のメッセージも流している。
湾岸戦争がCNNと通じた戦争だったとすれば、今回の同時多発テロをめぐる一連の出来事はカタールの衛星テレビ局アルジャジーラをクローズアップしている。タリバーン政権崩壊まで、世界中のメディアは、アルカイーダやタリバーンに関して、このアラビア語の放送局が入手した情報を通じて番組を構成している。その影響力を無視できなくなった合衆国政府は、コンドリーザ・ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官(National
Secu
アルジャジーラは、二〇〇三年三月に始まったイラクでの戦争で、さらに存在感を示している。メディアの情報提供は、戦争が起こる度に、拡大する。情報戦の勝利こそが、軍事的のみならず、政治的勝利をも導く。イラク戦争において、アルジャジーラは、アブダビ・テレビと並び、アメリカから最も敵視され、こともあろう二、アメリカ軍から攻撃を受けている。それどころか、アメリカ軍はジャーナリストの拠点として使われていたパレスチナ・ホテルに砲弾を撃ちこんでいる。CNNにしても、FOXにしても、イラクでの戦争においては、その革命的役割を終え、日本のメディアほどではないにしても、報道に関して自粛をしている。けれども、インターネットを見れば、規制したところで、情報は手に入るのであって、そうすればするほど、マスメディアに対する信頼性は弱くなる。アルジャジーラは、逆に、アメリカによるメディア支配に対してゲリラ的に解体している。アルジャジーラだけでなく、アブダビ・テレビや中国のメディアも、イラク戦争で、そういった動きに呼応し、さらに、それは加速するだろう。
アルジャジーラの報道はゲリラ的であるが、そもそもゲリラは不正規な武装集団による遊撃的戦闘などの軍事行動だけでなく、その集団や集団の構成員を指す。二十世紀に限らず、民族自決の闘争はすべてゲリラ戦である。ゲリラの目的は二つに大別できる。一つは、敵の軍隊による占領を放棄させるための遊撃戦、もう一つは現存の政権を倒し、新政治体制を築く目的で行う革命戦争ないし民族解放戦争である。ゲリラという語は、十九世紀初頭にナポレオンがイベリア半島に侵入した際、スペインの農民たちが抵抗しナポレオンの征服を中断させた戦いをカステーリャ語で「小さな戦争」を意味する「Gue
Imagine
the
It's
easy if you t
No
hell below us
Above
us only sky
Imagine
all the people
Living
fo
Imagine
the
It
isn't ha
Nothing
to kill o
And
no 
Imagine
all the people
Living
life in peace... 
You
may say I'm a d
But
I'm not the only one
I
hope someday you'll join us
And
the wo
Imagine
no possessions
I
wonde
No need
fo
A b
Imagine
all the people
Sha
You
may say I'm a d
But
I'm not the only one
I
hope someday you'll join us
And
the wo
(John Lennon “Imagine”)
最近までに実行されているテロの方法は、すでに国民国家が行っている。同時多発テロは無差別であり、民間人と軍人を区別していないが、第二次世界大戦中に国家の正規軍が行った戦法である。テロリズムは近代が育ててきた政治思想であり、近代が続く限り、消えない。ジョージ・W・ブッシュ大統領はテロとの戦いを宣言したが、それはテロリズムと近代との消耗戦を意味している。国民国家は、自らが生み出したもののブロー・バックに苦しめられているにすぎない。エドワード・サイードやノーム・チョムスキー、スーザン・ソンダークは、テロの真の原因は合衆国の政策であり、アメリカは自己批判しなければならないと言っている。サイードは、『オブザーバー』に、反米主義は経済制裁によって苦しんでいるイラクの民衆やイスラエルのパレスチナ占領に対する支持といった具体的な介入の蓄積した結果であると書いている。また、ソンダークは、この事件は文明や自由世界に対する攻撃ではなく、アメリカの過去の行動の結果であり、「自称超大国」に対する復讐であると『ニューヨーカー』に寄せている。イラクのサダム・フセイン大統領はイラン革命の伝播を食いとめるため、事実上、サウジアラビアの要請を受けて、イランとの戦争を始め、アメリカが経済的・軍事的支援をしている。一九八三年十二月二十日、当時製薬会社社長だったラムズフェルドも、レーガン大統領の特使としてバグダッドに赴き、フセイン大統領と握手している。アメリカ政府がCIAを通じて軍事的・経済的支援を与えた結果、サダム・フセイン大統領は政治的基盤を強固にしている。生物・化学兵器の製造方法も、この時、アメリカからイラクに伝えられたと見られている。一九七九年、スンナ派で、バース党の党員だったサダム・フセイン将軍が、辞任したアフマド・ハサン・アル・バクルの後を継いで、イラク大統領に就任する。イラン・イラク戦争は分離独立を掲げるクルド人問題とシャッタルアラブ川領域の国境問題の二つが絡み合っている。そうした背景を無視して、イランのイスラム革命が輸出されることに危機を覚えたアメリカがイラクを支援し始める。イラクを支援したのはアメリカだけではない。中東への足がかりの欲しかったソ連は、イラクに、七〇億ドルの武器を売却しているし、ヨーロッパ諸国も幅広い援助をつぎこんでいる。フランスの核抑止論の推進者であり、イラク支援にもかかわっていたピエール・ガロワは、フランスは、当時、世界第二位の埋蔵量を誇るだけでなく、非常に質のよい石油を持ちながらも、進められていた原子力発電所の開発に、真の目的を知りつつ、手を貸していたと証言している。彼によると、ドイツは、アメリカと共に、後にクルド人の虐殺に使ったとして問題になる化学兵器用の物質を売り渡している。その後、サダム・フセインはクウェートに軍隊を進め、湾岸戦争に至ったものの、彼が政治権力から離れることはない。おまけに、湾岸戦争は合衆国にとって中東における最大の友好国であるサウジアラビアを苦境に陥らせている。異教徒であるアメリカ軍の駐屯を国王に認めさせたのみならず、原油価格の低迷に加え、湾岸戦争の経費負担に伴い、莫大な財政赤字を抱えて、サウジ経済を不況に貶めている。サウジにおける政治的決定は、国王が決めた方針を宗教的指導者集団のウラマーがイスラム教に反していないという正当化を与えた上で、人々に発表されるという過程を辿る。豊かさによって抑えこまれてきた人々の王室に対する不満が、湾岸戦争後に、噴出していく。この社会不安がオサマ・ビン・ラディンの急進的な思想への共鳴者を生み出している。二〇〇〇年には、一九年ぶりに一二〇億ドルの財政黒字を計上するも、アルカイーダの成長を止めるには手遅れである。ジョージ・ブッシュ大統領は、戦争中から、イラクの体制崩壊から混乱が生じ、さらにその影響が中東全体に波及することを恐れ、サダム・フセイン政権の打倒を望んでいなかったのである。この姿勢は次のビル・クリントン政権でも基本的には同じである。なのに、合衆国政府はサダム・フセイン政権を打倒しようと画策しているが、すべて失敗に終わっている。映画『スリー・キングス(Th
B
Jackie
Robinson: I’ve got two cheeks, M
 孤立主義を鮮明にしていく合衆国の外交政策はESSから見ても、自滅的になっている。「進化的に安定な戦略(Evolutiona
 ビル・クリントン政権で国防次官補を務めたジョセフ・ナイは、二〇〇二年から始まったイラクに対する国際社会の動向について、「タカ派でもハト派でもない、フクロウ派の必要性を私は唱えている。知恵の象徴といわれるフクロウは、タカのように『多国間の外交など時間がかかって煩わしい』とは言わないし。ハトのように武力行使を頭から否定しない」と述べている。タカ戦略でも、ハト戦略でもなく、「フクロウ戦略(Owl
St
イラクに限らず、合衆国政府は、紛争・衝突があると、つねに一方を経済的・軍事的に支援し、対立を煽っている。アメリカの外交方針は孤立主義とイデオロギー外交である。アメリカは「国益」目的で他国へ干渉しないが、「自由」と「民主主義」という公益のためには。そうすることもやむをえないというわけだ。この公益という文化普遍主義が世界を混乱に陥れている。ジョージ・W・ブッシュ政権のイラク攻撃に向けた動きもこの延長にある。一七七六年、封建制を経験しないまま、アメリカ合衆国はイギリスから独立して以来、中世の影に対し、この公益を振りかざす。アメリカ合衆国は中世を憎むと同時に、その欠落感から、ケネディー・ファミリーを「ケネディー王朝」と見なしているように、自らの中に「中世の秋」を作り出し、やりすごそうとしている。近代は、中世をまったくもしくは本格的に体験してこなかったヨーロッパや日本、アメリカが世界的に台頭した時代である。「日本とヨーロッパには奇妙な平行現象があって考えやすい。どちらも本格的な中世がなくて、ルネサンスがある。西洋史では扱わぬが、日本史なら江戸時代をさす近世という概念が、ルネサンスと近代とのつなぎに便利。中国やペルシアのような本格的な中世になるとこうはいかぬ。長安やバグダッドは別世界としか思えぬ」(森毅『時の渦』)。イスラム圏や中国が中世において世界の中心であったために、ヨーロッパや日本のような周辺と違い、その遺産と責務から、近代という変化への迅速な対応が困難だったのである。対テロ戦争がいつの間にか対イラク戦争へとすり替わり、一方で、新生アフガニスタンはハリド・カルザイを暫定行政機構議長として二〇〇一年十二月二二日に発足し、二〇〇二年六月二十日に正式にカルザイが大統領に就任したものの、カルザイ大統領に対する暗殺計画は後を絶たず、アメリカ軍が彼をガードしなければならない状態に陥っている。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、父親の忠告も聞き入れず、イラクをイラン・北朝鮮と並ぶ「悪の枢軸(Axis
of Evil)」であると非難し、「盲動主義(Reckless Adventu
ちなみに、「十三日の金曜日」がキリスト教世界では不吉と見なされているが、それは一三〇七年のテンプル騎士団の悲劇に由来する。十字軍として、フランスはテンプル騎士団に資金を提供していたが、その隆盛に脅威を覚えたフランスのフィリップ四世はテンプル騎士団を粛清する。その日以来、そういう言葉が生まれている。ブロー・バックが、ある意味で、政治の常であるとしても、テロリズムはそこに国民国家が絡んでいる。
ところが、懲りずに、アメリカは、九月十一日のテロでも、大きく外交姿勢を切り替えている。チェチェンやチベットに対する人権抑圧を非難していたロシアや中国にアフガンへの軍事行動を容認させている。また、アメリカはテロリスト支援国家を「ならず者国家(
同時多発テロにより、合衆国は国際社会との協調を軽視するようになっている。何らかの勢力から国が侵略を受けた経験に基づいて、国際機関が発足してきたにもかかわらず、合衆国は逆のことをしている。イラク攻撃ではサダム・フセインが国際的関心になっているのではなく、合衆国の論理である。将来的な危険性を持つものは、予防策として、排除しなくてはならない。二〇〇三年三月二十日、極めて楽観的なシナリオに従って開始されたイラク攻撃は軍事的と言うよりも、政治的な問題であり、合衆国はそれによって軍事的に勝利したとしても、肝心の政治的には敗北してしまうこともありうる。
すべてを合衆国の失策のせいにするとしたら、言うまでもなく、それこそ短絡的であろう。国際社会は、時として、アメリカを孤立へ追いやってきたことも事実である。国際連盟を提唱しておきながら、結局、加盟せず、失敗に追いやり、イラク危機のために、国際連合を事実上の破綻に追いやろうとしているとしても、アメリカのみに罪を負わせるのは自己弁護にすぎない。アメリカだけでなく、多くの国家が、目先の利益や思惑にとらわれて、テロリズムに対する十分な方策を打ち出すことを怠ってきたのだ。反戦運動は戦争の開始をとめることはできないが、終結させることはできる。戦争を始めるよりも、終わらせる方が難しいため、しばしば指導者たちがそれを利用するからだ。さまざまな状況が複雑に絡み合ってしまい、指導者たちがひくにひけなくなって戦争に突入してしまったことが歴史上何度もある。アントニオ・グラムシとマイケル・ハートは『帝国』を書き、その中でアメリカは「帝国」ではないと言っているにもかかわらず、合衆国の政権中枢さらにはそこの近い人物たちはアメリカ合衆国を「帝国」と自認している。この「帝国」という概念は、現在、アメリカを論じる際に、最も使われる。彼らの主張とは別に、だとすれば、この帝国は、ローマ帝国がキリスト教の普及とゲルマン民族の移動を原因の一つとして破綻したように、新たな民族移動と新しい思想の登場によって、滅亡するだろう。世界は、紛争地域で、結局、映画『M*A*S*H』や映画『ノーマンズ・ランド(No
Man’s Land)』のように、振舞ってきたのであり、そこに見られるガルゲフモールだけが新たな世界を生み出すことができる。
Th
Visions
of the things to be
The pains
that a
I 
It b
And I
can take o
I t
All
ou
Without
that eve
But
now I know that it's too late, and...
The
game of life is ha
I'm
gonna lose it anyway
The
losing ca
So
this is all I have to say.
The
only way to win is cheat
And
lay it down befo
And
to anothe
Fo
The
swo
It
doesn't hu
But
as it wo
The
pain g
A b
To
answe
Is it
to be o
And I
'Cause
suicide is painless
It b
And I
can take o
...and
you can do the same thing if you please.
(Johnny Mandel
& Mike Altman “Suicide Is Painless”)
しかしながら、アメリカには他国と違う重責を担っている。それは軍事力による世界の警察官を果たすことではない。国際的な基軸通貨であるドルを発行しているという責任である。テロリズムを生み出す温床に貧困があることは確かである。複雑で詳細なその責任を果たすことをアメリカは気がすすまないように見える。
“Goddamn
A
“That
is all”.
(Robe
二〇〇二年四月に「外交政策って何だかいらつくなあ(This fo
森毅は、『ボクの京大物語』において、一九七〇年代の当局と全共闘の団体交渉を例に、交渉について次のように述べている。
団交は、当局と学生が五分五分になると、当局の勝ち過ぎになる。メンツは別の問題として、五分五分だと、なんといっても制度を持っているのは当局だから、勝ち過ぎてしまう。四分六分でも当局に有利な展開。三分七分だと全共闘に有利。全共闘が八分になると、今度は全共闘が勝ち過ぎて、あとの処理が彼らの手に余ってしまう。だから、当局は四分六分を狙い、全共闘は七分三分を狙い、そのあたりでやり取りをする。四分六分で当局が負けるというのが当局に有利だと思う。
合衆国は世界最大の軍事力を持ち、ドルを発行し、英語によるメディアも握っている。その合衆国が交渉に際して、「五分五分」の結果では「勝ち過ぎ」である。「四分六分」の結果でも、事実上、まだ勝っている。合衆国は交渉において勝つのではなく、負けることで世界が安定に向かうことを認識しなければならない。
圧倒的な政治力・経済力・軍事力を持ちながら、アメリカがイラクを攻撃するのは、その主観主義=道徳主義に基づいている。道徳主義者は、純粋さが損なわれるため、交渉を嫌う。ジョージ・W・ブッシュ政権は道徳主義に基づいており、交渉など眼中にない。代替案は交渉の余地があって、初めて、意義がある。交渉する気がないのに、代替案の提示を求めるのはごまかしにすぎない。
Geo
Condi:
Si
Geo
Condi:
Hu is the new leade
Geo
Condi:
That's what I'm telling you.
Geo
Condi:
Yes.
Geo
Condi:
Hu.
Geo
Condi:
Hu.
Geo
Condi:
Hu.
Geo
Condi:
Hu is leading 
Geo
Condi:
I'm telling you Hu is leading 
Geo
Condi:
That's the man's name.
Geo
Condi:
Yes.
Geo
Condi:
Yes, si
Geo
Condi:
That's co
Geo
Condi:
Yes, si
Geo
Condi: No, si
Geo
Condi:
Yes, si
Geo
Condi:
No, si
Geo
Condi:
Kofi?
Geo
Condi:
You want Kofi?
Geo
Condi:
You don't want Kofi.
Geo
Condi:
Yes, si
Geo
Condi:
Kofi?
Geo
Condi:
And call who?
Geo
Condi:
Hu is the guy in 
Geo
Condi:
Yes, si
Geo
Condi:
Kofi.
Geo
(Condi
picks up the phone).
Condi:
Rice, he
Geo
テロリズムを生み出す歴史的背景は近代、すなわち国民国家と資本主義の発展であり、アメリカやイギリスの指導者がテロリズムを国際社会に対する脅威と把握しているが、これは、ある意味で、正しい。国際社会(inte
 九月十一日のテロは、合衆国政府だけでなく、さまざまな解放・抵抗運動の団体にも影響を与えている。バスク祖国と自由(ETA)傘下の政党バタスナは、事件直後、犠牲者への哀悼の意を示し、「テロは、将来、平和的な交渉に発展するものでなければならない」と自説を展開している。ETA幹部の一人は、AFP通信に、「同時多発テロがあったからといって、休戦はしない。今後は死者が出ないように心がける」と話している。また、アイルランド共和国軍(IRA)の政治組織シン・フェイン党のジェリー・アダムス党首は、党大会で、「同時多発テロによって改革を目指すわれわれの戦いが汚された」と述べ、あのテロと明確な政治目的を持ったわれわれの戦いとの間とは明確に区別されるべきだと強調している。しかし、IRAは、十月二十三日、武器の廃棄を表明している。支援してきたアイルランド系アメリカ人から爆弾闘争路線の理解を得ることが難しくなったからである。他にも、反グローバリズム、あるいは環境保護を掲げる団体や組織も暴力に訴える手段から転換している。
一方で、カシミールとパレスチナでは、今回の事件がなかったかのように、先鋭的なグループが爆弾テロを起こしている。南アジアのテロ・ネットワークはアフガニスタン=パキスタン=カシミールとつながり、さらに、これが世界中に広がっている。カシミールの先鋭的なグループの中にはパキスタンの支援を受けているものもある。また、十月十六日、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)の軍事部門アブ・アリ・ムスタファ・ブリゲードがイスラエルのレハバム・ゼエビ観光相を暗殺し、イスラエル政府は、報復として、ベツレヘムなどパレスチナ自治区に軍を進めている。このようにアフガンを支援するだけでは不十分であり、カシミールやパレスチナを視野に入れなければならない。
テロリズムは政治的目的のために暴力を行使したり、それによって威嚇したりする手法であるが、政治的動機から見た場合、テロリズムは国家テロリズムと反政府テロリズムに分類することができる。前者は、国家が体制の維持、強化のために反対勢力を封じこめ目的で用いられ、後者は、反政府勢力が権力の失墜や革命的状況の醸成、あるいは権力の奪取を狙ってとられる。テロリズムは特定の敵対者を倒すことが目的である場合もあれば、敵対者を含むより広範囲の人々への威嚇をねらう場合もある。広範囲を標的にする場合には、しばしば無差別な殺戮がなされる。歴史的に、テロリズムは個人的なテロリズムではなく、集団的テロリズムが先である。十八世紀末のフランス革命におけるジャコバン派の独裁は、そうした集団的テロリズムの最初の事例であり、彼らは革命の敵対者を組織的にギロチンに送っている。政治体制としての国家は必ずしも古くない。封建社会から絶対王政へ移行する際に、国王が自らの権力を主権として宣告する。国家は絶対王政において登場した政治体制である。国民国家はその王権を制限、もしくは廃止する。国民国家は神、すなわち権威なき政治体制であり、国家体制が強化されるほど、サディズムである以上、テロリズムが盛んになる。国家の登場によって、あらゆるものが政治的になり、さらに、フランス革命以降の国民国家体制では、権限を政治権力に集中させ、一切が政治から干渉を受ける。国家は自分自身の保身にすべてを費やし、それを阻むものには容赦なく暴力を加える。政治権力だけが殺人を合法化できるのであり、テロリズムは、その政治性のために、正義の暴力として正当化される。正義は公正さへの意志であり、公正さを求める時、最も暴力が公認される。二十世紀に入ると、集団的ないし組織された公正さのための暴力は国家機関を利用し、大規模化する。その典型がナチズムとスターリニズムである。
この集団的テロリズムという観点から、アラブやイスラム諸国はイスラエルのパレスチナ人に対する暴力こそテロリズムであると主張している。テロの定義は政治的な問題である。国連におけるテロ問題協議の争点はパレスチナの反イスラエル闘争の位置づけである。イスラム諸国では、パレスチナ人の闘争はテロに含まれることはなく、イスラエル軍の戦闘行為こそテロという認識で一致している。リビアのドルダ国連大使は、二〇〇一年、国連総会のテロ撲滅討議の場で、「パレスチナ人は占領や財産の没収というテロ行為の犠牲者」であり、「占領がなくならない限り、テロの解決にはならない」と演説している。マレーシアやサウジアラビア、イランなども、安保理の「テロ包囲網強化決議」を履行する上で、テロと「外国の支配下にある人々による民族解放闘争」は違うと主張している。国連決議を無視して、ヨルダン川西岸やゴラン高原を占領し続けているイスラエルに支援し続けてきただけでなく、ジョージ・W・ブッシュ政権は中東和平に関して不関与政策を示す。エルサレムのアメリカ領事館前で、九月十二日、“TERROR
IS OUR COMMON ENEMY”と書かれたプラカードを手に、パレスチナ人の子供たちが犠牲者を追悼している。しかも、パレスチナの子供は大人にこう尋ねている。「世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしているの」。一九八二年、イスラエル軍に支援されたレバノンのキリスト教右派勢力は、ザブラーとジャティーラのパレスチナ難民キャンプで、約二千人を虐殺している。当時のイスラエル国防大臣はアリエル・シャロンである。また、その六年前の一九七六年、ベイルート郊外のタツル・ザアタルの難民キャンプを同じ右派勢力が半年間封鎖・包囲し、集中砲火を浴びせ、住民二万人のうち約四千人を殺している。イスラエルのパレスチナ自治区への姿勢は「プロクルステスのベッド(P
It
was ve
(Joseph Con
二〇〇一年六月下旬にガザ自治区で「殉教作戦」を実行したイスマイ−ル・アルマサワビ−は、「同胞への遺書」において、次のように書いている。
同胞たちよ。私は不帰の旅に出ることを決めました。この虫の羽ほどの価値もなく、影のように消えてしまう楽しみの少ない世界に戻ることはないでしょう
偉大なるアッラーが私を受け入れ、預言者や信仰者、殉教者、善行者とともに真実の座を与えるようにお願いしています。
アッラー、私は魂と体を差し出すことに戸惑いはありません。アッラーがそれを受け入れることを祈念します。
私は武器をとって、殉教者の道を進み、ユダヤ人が私たちの息子たちを毎日殺しているように、彼らに破滅と破壊を味わわせるでしょう。
この痛々しい遺書は石川啄木が記した次のような心情を想起させる。
われは知る、テロリストの
悲しき心を──
言葉とおこなひとを分かちがたき
ただひとつの心を、
奪われたる言葉のかはりに
おこないをもて語らむとする心を
われとわがからだを敵に擲げつくる心を──
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり
果てしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて
そのうすにがき舌触りに
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を
(『ココアのさじ匙』)
やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心も
──近づく日のあり
(『悲しき玩具』)
ゲリラとテロリストの区別は重要である。第二次世界大戦中のレジスタンスや戦後の民族自決を目指す解放闘争がゲリラ戦によって行われたことから、一九七七年の「一九四九年のジュネーブ諸条約の追加議定書」において、解放闘争が国際的武力紛争とされ、捕虜となったゲリラに対する人道的保護が国際法上でも、認められている。”Te
兵力および武器の質と量の劣るゲリラは敵軍との正面衝突を避け、森林や山地、ジャングルなど敵が容易に踏み込めない地域に拠点を設け、住民から要員、食料、居住設備および情報の提供を受けて活動する。ゲリラは自分の国の正規軍または友好国軍から火器や弾薬、医療品、軍事顧問などの支援が得られる場合もある。イギリスの軍人トマス・エドワード・ロレンスは、ゲリラ戦の理論をアラブ対トルコの砂漠での戦闘に応用し、『七本の知恵の柱』で、ゲリラ戦においては機動力と迅速性および奇襲攻撃を重視すべきであると述べている。また、毛沢東は、『持久戦論』を始めとする論文において、ゲリラは民衆と「水と魚」の関係を持続しながら、次第に敵の力を弱めていく持久戦であると説いている。ゲリラ戦の戦術は、敵が予想できない時期・場所で、あるいは弱点に対し不意に攻撃をかける奇襲と撹乱を主体とする。敵の補給施設や駐屯地の襲撃や破壊、巡察隊や車両縦隊の襲撃、交通路の遮断などにより武器や食料を奪い、敵軍を振り回して疲弊させる。迅速に動き回り、小人数に分散して住民の中にまぎれこんだゲリラを捕捉するのは極めて難しい。
ゲリラ戦という概念はまだなかったが、十二世紀にウェールズ人がノルマンの侵略に対し長弓を使って戦い、国境を死守した頃から、ヨーロッパ史にそれらしき戦術が登場する。数世紀に渡り、為政者に対する農民の反乱には、ゲリラ戦の戦法が頻繁に用いられている。一七九三年から三年間続いたフランス西部、バンデ地方でおこったカトリック教会の支持を受けた農民の革命政権に対する反乱はゲリラ戦である。一八七〇年から翌年にかけて起きた普仏戦争時、ドイツ進攻軍に対して行われたフランス軍狙撃隊の攻撃、一八九九年から三年間続いたボーア戦争におけるトランスバールとオレンジ自由国のイギリス軍に対するボーア人コマンドの襲撃、第二次世界大戦におけるドイツ軍占領下のフランスの対独レジスタンス地下組織「マキ」の活動がゲリラ戦の著名な例である。
民族自決の動きはゲリラ戦をより戦闘の主役にさせている。一八二一年から二九年までのギリシア独立戦争、一八三〇年代から五〇年代のジュゼッペ・マッツィーニやジュゼッペ・ガリバルディの率いるイタリア統一運動でも、ゲリラ戦が大きな役割を果たしている。十七世紀のブラジルにおけるポルトガル人やオランダ人に対する奴隷の反乱、十九世紀のラテン・アメリカ独立運動指導者シモン・ボリーバルやメキシコ独立の父とされるミゲール・イダルゴが指導したゲリラ戦は、スペインの圧政をはらいのける役割をはたしている。他にも、ヨシフ・ブロス・チトー、ホー・チ・ミン、フィデル・カストロ、エルネスト・チェ・ゲバラなどあげれば数限りない、アフリカの西欧の植民地と少数派の白人支配の国での解放闘争、ニカラグアの反サンディニスタ勢力もまたゲリラ戦の戦術に訴えている。アフガンのムジャヒディンも、むろん、その一つである。
 十九世紀支配的だったのは「戦争(wa
さらに、近年の各種のセンサー技術、通信技術およびコンピューター技術の革新的進歩とこれら3者のシステム化により情報化技術(収集・記録・評価・判定・使用)が飛躍的に進歩している。情報戦(Info
 戦いでは情報が重要である通り、近代ジャーナリズムは戦争と共に発展する。メディアは戦争によって視聴率や販売部数が伸びる。米西戦争のイエロー・ジャーナリズムだけでなく、『朝日新聞』は、日清・日露戦争を通じて、販売部数を伸ばしている。ジャーナリズムは、読者や聴視者、視聴者に受け入れるため、センセーショナルにナショナリズムを扇動する。その際、物事を二項対立の図式によって把握する。日本のあるニュース番組で、自衛隊の艦船に護衛されてキティホークが横須賀湾から出航する際に、リヒャルト・ワーグナーの『ワルキュレー』をBGMとして流している。ジャーナリズムは近代に発達したのであり、このように国民国家やテロリズムと同じ基盤を持っている。
二〇〇一年十月二三日付『朝日新聞』の本田雅和の署名記事によると、アフガン内で、取材の実態。タリバーンが支配するカブールには外国人記者は入れないため、避難してくる人たちから聞くほかない。難民の中には高額の謝礼を要求するものもいる。あるイギリス人記者は札束を示し、「カブールの様子を話してくれ」と頼んでいる。北部同盟の外務省高官の月給が七ドル程度である。空爆以後、車両の借り上げが一日で八十から百ドル以上、通訳は一日三十ドル以上、空爆以前の三倍以上にも高騰している。入国ビザは三ヶ月三十ドルが百ドルに跳ね上がっている。特に、十月に入ってから、値上がりが激しい。国境からジャブルサラジまでの車両代金は通常の二倍を超える千二百ドル以上に上がり、運転手はそのうち二百ドルを北部同盟に上納している。通行料を要求する兵士も少なくない。
カブールの北三十キロ付近にあるバグラム空港の前線では、指揮官が「対空高射砲を撃つのを見たいか」と尋ねると、何人かのカメラマンが「イエス」と声を合わせると、高射砲から数発実弾を発射させている。しかも、シャッター・チャンスを逃したあるカメラマンが「もう一回」と指揮官に求めている。指揮官がジャーナリストに「戦闘を見たくはないか」と尋ねることも珍しくない。また、あるアメリカ人カメラマンは「戦闘場面を撮りに来たんだ。平和な農村風景の絵葉書写真はいらない」と同僚を怒鳴っているし、パキスタンに派遣された日本のテレビ・クルーも日本から「もっと過激な場面、もっと民衆が怒っている場面を撮れ。絵になるものを送れ」と要求されている。それどころか、日本のある民放のディレクターはテロと空爆のおかげで、担当番組の視聴率が上がっていると喜んでいる。
本田雅和はこのような状況を紹介した後、記事を次のように閉めている。
こうした記者の集団としての存在は、人身を荒廃させ、経済を破壊し、ときには戦闘をあおることにさえなっていないだろうか。が、同時に、現場にいなければ見えないものは多い。私たちは暗闇の中で手探り状態だ。
本田雅和の感想はジャーナリズムの扇動性の秘密を逆説的に示している。それはジャーナリストたちがinvisibleな現実をvisibleにせずにはいられないという点である。その転倒性がジャーナリズムを視覚的テロリズムへ走らせる。彼らは「暗闇の中」ではなく、光の中で、明かりを探さなければならない状況に置かれていることを見逃している。「ジャーナリズムの役わりを、世論をリードするとか、時代の流れを読むとかいうのは、今の時代にそぐわない。そうした一つの方向へしぼりこむのではなくて、世間の見方をひろげ、時代のまだ不確かなものを感じさせることのほうが、ジャーナリズムには望ましい。しぼりこむことよりも、ひろげること」(森毅『政治とジャーナリズム』)。
少なくとも、日本のジャーナリストはオウム真理教による地下鉄サリン事件に直面した際、そのことに気がつくことができたはずである。ところが、彼らは、六年経っても、村上春樹的認識に安住してしまっている。村上春樹の『アンダーグラウンド』は、地下鉄サリン事件に遭遇した被害者と遺族、医師、精神科医、弁護士などからのインタビューを集めている。村上春樹は、『アンダーグラウンド』でも、地下鉄サリン事件に関する最大の疑問を「一九九五年三月二十日の朝、東京の地下では何が起こったのか?」だと述べている。「『こちら側』=一般市民の論理とシステムと『あちら側』=オウム真理教の論理とシステムとは、一種合わせ鏡的な像を共有していたのではないか」、すなわち「われわれが直面することを避け、意識的に、あるいは無意識的に現実というフェイズから排除し続けている、自分自身の影の部分(アンダーグラウンド)ではないか」。日本社会では、三十八度線のように、諸問題がvisibleではなく、invisibleである。光と対比される闇といった明確なinvisibleさではなく、明かりの中の光のごとく曖昧なinvisibleさである。「長さのあるのは、三十八度線のように、人為的に作った一次元の線だけ。自然はフラクタルを好む」(森毅『「米君基地」「海外シフト」「フラクタル」』)。オウム真理教は、隠れるように、地下で活動していたわけではない。東京都に認可された宗教法人であり、国政選挙にも立候補者を立てた通り、彼らは闇の集団ではない。実際、オウムのテロリストは、奥行きを照らし出さない白い輝きの蛍光灯の光の下で、サリンをまいている。東京オリンピックまで、確かに、闇はあったが、以降、闇は消失している。闇は蒸気機関の時代において存在し得る。炭鉱に象徴される闇は光から排除された者が辿り着く場所である。しかし、石炭から石油へと生産手段・生産様式が転換していった高度経済成長は風景を次々に作り変えていき、闇も消されていく。『アンダーグラウンド』の中で、「地下の世界は私にとって、一貫して重要な小説のモチーフであり、舞台であった。たとえば井戸や地下道、洞穴、地底の川、暗渠、地下鉄といったものは、いつも(小説家としての、あるいは個人としての)私の心を強くひきつけた」と告げている。テロはメディアに訴えてその目的を達成するが、地下鉄サリン事件はテロの意図が不明確であり、ただ陰湿さだけが強調されているだけである。陰湿さという日本社会の特性が生み出したテロであって、それを地下の世界と結びつけて理解しようとすることは極めて反動的かつ自分勝手な認識でしかない。現代の不可解な事件や出来事を考える場合、闇という視点から離れなければならない。「『心の時代』などと言われると、どうも時代とずれているような気がしてしまう。魔法の杖みたいな心という物体があって、それで万事解決するというのは幻想ではないかと思う。かつて『革命バブル』の時代があって、革命で社会が変わると思われたが、それは浅間山荘事件で幕を閉じた。『心バブル』の時代はオウム事件で幕を閉じたと思っている。今は、ポスト・オウムの時代の心を考えねばなるまい。心は万能薬ではない。心を前提にするのではなく、心の風景への感受性が問題ではないだろうか」(森毅『心の場の気配』)。
 そもそも地下の世界がなくなったからこそ、川口浩が登場したのである。一九七七年七月二十日、「そして、われわれはついにその瞬間を見たのであった!」のナレーションで知られる河口浩隊長率いる探検隊『水曜スペシャル』が始まっている。第一回「死の山八甲田山の謎!!映画も明かさなせなかったその真相─地獄の雪中行軍隊199人は何を見たか!?」と翌年一月十八日放映の第二回「地上最大の毒蛇デビルファングを追え!タイの秘境驚異のキングコブラ狩り─幻の大蛇実体VTR完全取材に成功」においては、川口浩は、会場で司会を担当していた。一九七八年の三月十五日放映の第三回「20世紀の奇跡を見た!!ミンダナオ島─人跡未踏の密林に石器民族は1000年前の姿そのままに実在した!」より、登場する。好評のうちに、一九八六年五月七日放送最終回「流水が落日に燃えた─川口浩がんを乗り越え新たな出発」まで続く。水曜スペシャル以外のテレビ朝日の番組に川口隊長と隊員数名が招かれ、司会者から、原人を発見したことに関して、「どうして、その貴重な成果を発表しないのですか」と尋ねられ、川口隊長は「彼らには彼らの生活がある。われわれがそれを乱すことはできないと思ったのです」と回答し、司会者も納得している。当初、川口探検隊の探検行と並行して女性レポーターによる観光レポートが行われ、ヘビ料理などいわゆるゲテモノ料理を食べさせられてキャ−キャー騒ぐというお約束の番組構成をとっている。もっとも、いかなる場合でも、ハプニングはつきものである。嘉門達夫が『行け行け!川口浩!』を一九八四年に発表するために、当人に承諾に行った際、本当に噛まれたという理由で、歌詞の一部を修正して、発売となっている。「川口浩がピラニアに噛まれる 噛まれた手はいったい誰のなんだろ」が「川口浩がピラニアに噛まれる 噛まれた手が突然画面に大アップになる」と変更されている。隊員は全員、青色のジャケットを着用し、その背中には「水曜スペシャル」と白抜きで記され、数々の苦難を乗り越えて、人跡未踏の地に辿り着いた川口隊であるが、帰る時はヘリが飛んできて、ヘリに手を振る川口隊の空撮で番組が終わる。
 メディアがテロリズムを誘発するのみならず、暴力がinvisibleになっている現代では、メディア自身がテロリズムを行っていることもある。マーシャル・マクルーハンは、『メディアの理解』の中で、テレビのようなクール・メディアは、固定されたイメージではなく、受け手が固定しやすいイメージを送ると指摘している。その特性により、メディアは大きく二種類のテロリズムを起こしている。
一つは固定しやすいイメージを送るためのバイアスである。エドワード・サイードは、『イスラム報道』において、西洋のメディアのイスラムに対する意識的ならびに無意識的なバイアスを指摘している。実際のテロリストもこういったバイアスを持ち、それに基づいて、実行している。
もう一つは無視、ならびに隠蔽である。固定化されやすいイメージのある映像を意図的にメディアが発信しない、もしくは当局がそれを押収する。あのテロ以降、ダイアナ・エックの『新しい宗教的アメリカ』によると、宗教多元主義が人々の間で広く支持されている。テキサス州のモスクに焼夷弾が投げこまれた事件の際に、各宗教の指導者が駆けつけ、一緒に結束の礼拝を行っているし、ヴァージニア州で、ムスリムの書店が破壊されたとき、何百通という支援の手紙と花束が届けられている。けれども、メディアはこれらを取り扱っていない。われわれは第二次世界大戦後の痛ましいユダヤ難民の映像を何度も見てきたが、その一方で、イスラエル建国に伴うパレスチナ難民を捉えた映像の記憶がない。トーマス・フリードマンは、『ベイルートからエルサレムへ』において、パレスチナ難民を映した映像をイスラエル当局がすべて押さえ、報道できないようにしたと告発している。メディアが報道しない問題は、イメージするのが困難になるため、存在しない。こうした問題の抹殺は虐殺に等しい。「インフォサイド(Infocide)」と呼ぶべきである。
同時多発テロは非常に映像が意識され、それはハリウッド・リアリズムを帯びている。テロリストのシナリオと演出はハリウッド的である。『ダイ・ハード』三部作には、ハイジャック、テロリスト、ビルの崩壊が描かれていることを思い起こせば、九月十一日のテロを「ダイ・ハード・テロ」と呼ぶことができる。トム・クランシーは、『合衆国崩壊(Executive
O
同時多発テロの結果、そうしたリアリズムに則してきたハリウッドは、アイロニカルに、方向転換を迫られている。ビルを爆破したり、爆破を計画するテロリストが登場するために、アーノルド・シュワルツネッがー主演の『コラテラル・ダメージ』やジャッキー・チェン主演の『ノーズ・ブリード』の公開が延期されている。
今度のテロは映像メディアの限界も露呈している。テロリストはinvisibleな存在であり、テロリズムとの戦いはinvisible、すなわち認識的なわかりにくさとの戦いである。映像メディアの安易なvisibleさから決別しなければならない。映像メディアは二十世紀において最も中心的なメディアであるが、一九八〇年代に入り、大きく変化しているものの、映像メディアは多様な価値観では機能できない。素朴かつ短絡的な二項対立の図式によって、複雑さを回収する。スポーツが映像メディアとともに発展してきたのもそのためである。ジャーナリズムは、スポーツ中継のように、今回も戦争行為の先を予測している。しかも、人々は、意識しないうちに、映像メディアに毒されている。「映画のようだ」と感じた時、その複雑な背景を持った事件が映像メディアの図式へと回収されていることを告げている。この瞬間にテロリズムが再生産されているのだ。九月十一日以降、映像メディアの文法と修辞法の再検討が促されている。
マーシャル・マクルーハンは、『メディア論 人間拡張の諸相』において、メディアについて次のように述べている。
 
われわれの文化は統制の手段としてあらゆるものを分割し区分することに長らく慣らされている。だから、操作上及び実用上の事実として「メディアはメッセージである」などといわれるのは、ときにちょっとしたショックになる。このことは、ただ、こう言っているにすぎない。いかなるメディア(すなわち、われわれ自身を延長したもののこと)の場合でも、それが個人及び社会に及ぼす影響というのは、われわれ自身の個々の延長(つまり、新しい技術のこと)によってわれわれの世界に導入される新しい尺度に起因する、ということだ。だから、例えばオートメーションの場合なら、なるほど、人間の結びつきに新しいパターンが出来て、固定した職務を駆逐する傾向がある。それは否定的な結果だ。しかし、肯定的には、オートメーションは人びとのために流動する役割を生み出す。(略)多くの人は機械でなくて、人が機械を使ってなすことが、その意味あるいはメッセージだったのだ、と言いたいであろう。しかし、機械がわれわれ相互の、あるいは自身に対する関係を変えた、その仕方を考えてみれば、機械がコーンフレークを生産しようがキャデラックを生産しようが、そんなことはまったく問題ではなかった。人間の労働と人間の結合の再構造化が細分化の技術によって形づけられたのであり、それが機械技術の本質というものだ。
 マクルーハンは「メディアはメッセージである」、すなわち伝達されるコンテンツ以上に、その存在が社会を規定すると主張する一方で、「メディアはマッサージである」、すなわちメディアには日々の生活で硬直した精神を慰撫する効能、緊張の緩和を促す効能があるとも言っている。従来のメディア論では、前者の「メッセージ性」が語られても、後者の「マッサージ性」が考慮されることは少なかったが、日常生活において、メディア産業はレジャー産業であり、むしろ、緊張の緩和に用いられている。メディアのマッサージ性によって、戦争も、テロもレジャーになるというわけだ。
メッセージの前には必ずシグナルがある。それが意識的な場合もあれば、無意識的な場合もあり、自明的認識に対する抵抗を含んでいる。このシグナルを見落とすと、マッサージはサディスティックになる。一九七〇年九月十二日、PFLPが、ヨルダン北部の彼らが革命空港と呼ぶドーソン空港で、ハイジャックした三機の旅客機を爆破したのは、世界が自分たち、すなわちパレスチナ人のことを忘れているのではないかと恐れたからである。多くの場合、大掛かりなテロは規模の小さな組織が存在感をアピールするために行われるのだが、これはその典型である。同時多発テロもこの「黒い九月(Black
Septembe
しなやかさを失ったメディアはいがみ合いを助長する。不寛容さは流動性の忌避を持っており、差異と同一が問題なのではなく、その流動性こそが重要であって、多くの場合、差異がメディアを通じて形成されたイメージに基づいている。アメリカではターバンを巻いたシーク教徒が射殺され、サウジアラビアではドイツ人夫妻に火炎瓶が投げつけられている。いずれも誤解と見られている。アメリカ国務省は、旅先でアメリカ人と悟られないように、注意をして欲しいと促し、それを受けて、TVは「一目でアメリカ人とばれる服装」という特集を組んでいる。つばを丸めたベースボール・キャップ、大学もしくは都市の名前の大きなロゴ入りのTシャツ、腰にはウエストポーチ、白い靴下にナイキかリーボックのスニーカー、手にはペットボトルとVTR、仲間内のジョークに大笑いしながら、観光名所を大勢でそぞろ歩き、空港や駅で待ち時間が長いと、寝転び、車座になってポーカーを始める。
ただし、イメージの問題点の解決の方策として視覚的メディアの否定を導き出すのは早計である。タリバーンが一切の画像・映像メディアを禁止したように、それは反動でしかない。イメージにおける真偽の混在を楽しむ必要である。「ぼくは、人間が未来を予測できるのは、十年程度だと思う。それから先へは、イメージが及ばない。ぼく自身の経験からしても、あの戦争中の少年だったころには、平和のイメージが持てなかった。そんなに愛国少年でなかったので、ぼつぼつ戦争も負けそうだと考えていたのだが、さて戦争の終わった時代というと、想像できなかった。そして、平和になった戦後は、ひどく貧しかった。アメリカ映画で見る生活は、ありえないものに思えた。豊かな社会を想像することはできず、焼跡の闇市をうろついていた。高度成長の時代には、繁栄の抑止といったことに頭がまわらなかった。こんなに、どんどん道ができ町ができてよいのかと、漠然とした不安はあっても、低成長は現実の発想になかった。少なくともぼくの場合、十年先のイメージがなかった。どちらかといえば現在に対して醒めているほうなのだが、頭の理屈で考えても生活のイメージがついていかなかった。社会が変わるにつれて、自分も変わってきているのだろう。それで、自分を乗せた社会という列車のなかで、いちおうは安定して暮らせる。でも、社会が十年も二十年もこのままのように考えて、そこでの自分の位置まで計画してしまうのも、つまらないと思う」(森毅『「将来の安定」なんて十年先までが限界だ』)。
テロリズムは時代と共に変化する。そのため、ある時代に優秀なテロリストだったとしても、次の時代には使い物にならなくなることは少なくない。テロリストはつねに世代交代を必要とする。アイルランド共和国軍のマイケル・コリンズはテロリズムを革命ではなく、民族自決運動のために再検討している。以降、テロリズムは、主に、その目的で使われるようになり、マイケル・コリンズのテロリズムを後発のナショナリストはそれを改変していく。テロリズムは、確かに、アイルランドのみならず、イスラエルやケニヤ、アルジェリアといった国家の独立を実現している。さらに、パレスチナ・ゲリラはテロリズムを国際的な活動へと拡大する。テロリストは国境を超えて連帯するようになったのだ。けれども、テロリストとしての寿命は決して長くない。優れたテロリストは当局や特殊機関が必死になってその行方を追いかけ、その結果、殺害されたり、逮捕されたりしてしまう。シュテルンを創設したアブラハム・スターンは、暴力をエスカレートさせたのみならず、反英闘争のために、手を組もうとナチス・ドイツに特使を派遣するという常軌を逸した行動をとって、誰にも相手にされなくなり、イギリス軍によって暗殺されている。逆に、たいした実力も備えていないくせに、カルロス・ザ・ジャッカルのように、メディアによって拡大しされることもある。テロリズムを成功するには、明確な目的と綿密な計画以上に、気まぐれな偶然であることも実際に多い。そうした手合いは、当局がそのリスクと費用を考慮し、無理に、捕まえることはしない。また、彼らをかくまう国家も彼らの能力を熟知し、政治的な取引の条件として利用するだけだ。テロリストは政治を翻弄し、政治はテロリストを使い捨てる。一般の民衆がその矛盾の代償を最も被ることになる、
In
the yea
If
woman can su
In
the yea
Ain't
gonna need to tell the t
Eve
Is in
the pill you took today. 
In
the yea
Ain't
gonna need you
You
won't find a thing to chew, 
Nobody's
gonna look at you. 
In
the yea
You
You
legs got nothing to do, 
Some
machine's doing that fo
In
the yea
Ain't
gonna need no husband, won't need no wife. 
You'll
pick you
F
Whoa-oh-oh.
In
the yea
If
God's a-coming He ought to make it by then. 
Maybe
he'll look a
"Guess
it's time fo
In
the yea
God
is gonna shake his mighty head. 
He'll
eithe
O
In
the yea
I'm
kinda wonde
He's
taken eve
And
he ain't put back nothing. 
Now
it's been ten thousand yea
Man
has c
Fo
Now
man's 
But
th
The
twinkling of sta
So ve
Maybe
it's only yeste
In
the yea
If
woman can su
(Zage
テロリズムが極端な主観主義=道徳主義であって、道徳によって政治・経済の克服を試みているがゆえに、二十世紀に対して大きな問題提起をしているのも事実である。ジョージ・W・ブッシュ大統領は「これは善と悪との戦いになる。そして善が勝つ」と演説しているが、テロリスト側のコメントとまったく同じである。同時多発テロから一年後には、実際、ブッシュ政権はアルカイーダのことなど忘れたように、サダム・フセイン体制のイラクの危険性ばかりを訴えている。イラクはアルカイーダとを支援しており、なおかつ大量破壊兵器を開発して、国際社会の安全を脅かしているから、アメリカは正義のために、イラクと対決しなければならないというわけだ。二〇〇二年十月十二日の深夜、インドネシアのバリ島で、外国人観光客を狙ったと見られる爆弾テロが起きている。この事件の死者は一八〇人を超える。同時多発テロ以来、アルカイーダと関係があるとされる先鋭的なグループによるテロルは中東よりも、むしろ、東南アジアで頻発している。こうした状況からも、ジョージ・W・ブッシュ政権の主張するイラクとアルカイーダとの「不適切な関係(Inapp
You
tu
so
bad that the
An
ove
Hello
goodbye
no
sea
But
how was I to know that you would be so good
Fo
fo
Will
you go away will you vanish f
Will
you go away and close the bed
And
let eve
Too
much to soon
too
bad it didn't hit me till a week had passed
I
might've saved the day if 'd acted fi
I
looked a
in case
you'd sc
But
all you left we
Fo
fo
Will
you go away will you vanish f
Will
you go away and close the bed
And
let eve
Fo
fo
Will
you go away will you vanish f
Will
you go away and close the bed
And
let eve
(Albe
小泉純一郎首相は、テロ対策特別措置法案をめぐって、衆議院の外交防衛委員会で、「法的な定義は専門家に任せる。政治家の知恵として常識的に議論したほうがいい」、あるいは「憲法そのものも国際常識と合わないところがある」と答弁している。テロ対策特別措置法の正式名称は「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」であり、寿限無法とも呼ばれている。非ユークリッド幾何学が発見されたのは、ユークリッド幾何学の第五公準だけが長かったからである。それは「二つの直線が、他の直線と交わってできる二つの交角の和が二直角未満であるならば、二つの直線は交角のある側に延長すると必ず交わる」という趣旨であり、第一公準の「二つの点を線分で結ぶことができる」と比べて、確かに長く、入り組んでいる。非ユークリッド幾何学が認められ始めた一八六〇年代から、公理の考え方が変化している。従来、公理は自明であって、万人が認めるものであり、常識的事項だったが、新しく公理は常識的でなくとも、論理的に正しければよいと変容する。公理は独立していて、無矛盾であり、完全であることが求められるようになる。文化相対主義が中心となっている現代、テロ対策の法案には「常識」ではなく、むしろ、論理的な正しさが必要である。「常識」を志向する日本の外交政策は、結局、名誉白人の称号の獲得を目的としているにすぎない。「風格」のない外交姿勢では、何をやっても、まったく感謝されない。「人を出すにしろ出さぬにしろ、金を出すにしろ出さぬにしろ、その身のこなしには風格というものがある。逆に、風格がなければ、どうしたってみっともない。日本が一番だめなのは、横並びの思想にとらわれていることだろう。よその国もやっているのだから日本もやらねばならぬとか、よその国が撤退してくれば日本もできるのだがとか、そんな言葉を政治家に言ってもらいたくない」(森毅『政治の絵柄』)。
新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はないけれど──
(石川啄木『悲しき玩具』)
オサマ・ビン・ラディンの弟やいとこを含む在米の親族二十四人が、テロ三日後に、チャーター機でサウジアラビアへ帰国している。大学留学中の一人は「第二次大戦中に罪もないのに強制収容された日系人の気持ちが初めてわかった。怒りの爆発の前では、無実かどうかは関係なくなってしまう」と語っている。国民国家やコモンウェルスは「怒り」によって維持されているし、テロリズムも「怒り」に基づいて実行されている。従って、国民国家やコモンウェルスを超え、テロリズムを克服するのは、「怒り」の道徳ではなく、おそらく、次のような「風格」を持った道徳になるに違いない。
 収容所生活の最後の頃の極度の心理的緊張、このいわば神経戦から心の平和へと戻る道は決して障害のない道ではなかった。そしてもし人が収容所から解放された囚人は何らの心理的保護を必要としないと考えたらそれは誤りである。むしろまず第一に次のことを考えねばならないのである。すなわち収容所におけるような極度の心理的圧迫の下にいた人間は解放の後に、しかも突然の圧迫除去の故に、ある心理的な危険に脅かされているのである。この危険(精神衛生の意味における)はいわば心理的なケーソン病(潜函病)にあたるものなのである。ケーソン労働者が(異常に高い気圧の下にある)潜函を急に出るならば健康を脅かされるように、心理的な圧迫を急に除かれた人間もある場合には彼の心理的道徳的健康を損なわれることもあり得るのである。
 特にいくらか原始的な性質の人間においてはこの解放後の時期に、彼等が依然としてその倫理的態度において権力と暴力とのカテゴリーに固執しているのが認められることがあった。そして彼等は解放された者として、今度は自分がその力と自由を恣意的に抑制なく利用できる人間だと思いこむことがあった。彼等は権力や暴力、恣意、不正の客体からその主体になったのである。さらに彼等はまた彼等が経験したことになお固執しているのである。このことはしばしばとるにたらない些細なことの中に現れるのであった。たとえば、一人の仲間と私とは、われわれが少し前に解放された収容所に向って、野原を横切って行った。すると突然われわれの前に麦の芽の出たばかりの畑があった。無意識的に私はそれを避けた。しかし彼は私の腕を捉え、自分と一緒にその真中を突切った。私は口ごもりながら若い芽を踏みにじるべきではないと彼に言った。すると彼は気を悪くした。彼の眼からは怒りのまなざしが燃え上った。そして私にどなりつけた。「何を言うのだ! われわれの奪われたものは僅かなものだったのか? 他人はともかく……俺の妻も子供もガスで殺されたのだ! それなのにお前は俺がほんの少し麦藁を踏みつけるのを禁ずるのか!……」何人も不正をする権利はないということ、たとえ不正に苦しんだ者でも不正をする権利はないということ、かかる平凡な真理をこういう人間に再発見させるには長い時間がかかったのである。そしてまたわれわれはこの人間をこの真理へ立ち帰らせるよう努めねばならないのである。なぜならばこの真理の取り違えは、ある未知の百姓が幾粒かの穀物を失うのよりは遥かに悪い結果になりかねないからである。なぜならば私はシャツの袖をまくり上げ、私の鼻先にむきだしの右手をつき出して「もし俺が家に帰ったその日に、この手が血で染まらないならば俺の手を切り落としてもいいぞ。」と叫んだ収容所の一人の囚人を思い出すのである。そして私はこう言った男は元来少しも悪い男ではなくて、収容所でもその後においても常に最もよい仲間であったことを強調したいと思う。
(ヴィクトル・エミール・フランクル『夜と霧』)
“If you insist. Believe me, I love you fo
〈了〉